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今年も、もう後数日で終わりだ。
ベルリーナールフトは、今年はじめて1週間ごとに更新できたのではないかと思う。
今回は、2019年にこれまで撮ってきた写真から、まったく関連性のない写真を3枚掲載する。
最初が、ドイツ未来館で職員が着用していたユニフォーム。2枚目は、完全自動無人運転車が周辺をどう認知しているかを示すモニター画面。もう一つが、環境デモの時に設置されていたバイオトイレだ。
こういうこともあっていいと思う。 (2019年12月28日) |
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ベルリンの赤の市庁舎前には、毎年クリスマスマーケットが立つ。
そこでは例年、観覧車も回っている。もちろん、仮設だ。
乗っても寒くないよう、ゴンドラは箱形だ。小屋が順々に回っているように見える。
夜になると、ゴンドラに乗る人たちが長い列をつくっている。
観覧車は、ベルリンのクリスマスの名物だ。 (2019年12月21日) |
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クリスマスマーケットには、クリスマス特有のお菓子も並んでいる。
ぼく自身、クリスマスのお菓子はあまりすぎではない。だが、パン全体が粉砂糖でまぶされたシュトレンだけは別(3つ目の写真)。ドイツ南東部ドレスデンの名物だ。
日本ではこの菓子パンが、シュトーレンといわれているようだ。でも、ドイツ語の発音はシュトレン。ドイツ語で坑道という意味でもある。
菓子パンが坑道のような格好をしているからか。でも、坑道で熟させる菓子パンのシュトレンもある。
とても長持ちするパン。クリスマスまでの4週間、少しずつスライスして食べる。 (2019年12月14日) |
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12月に入り、ベルリンはクリスマス一色になってきた。
あちこちで、クリスマスマーケットもはじまった。
クーダム通り/タウエントツーン通りでも、例年のようにクリスマスのイルミネーションが灯っている。
クリスマスまでの4週間は、待降節といわれる。4回の日曜日には、友人を呼んでパーティーをする家庭もある。
その時には、みんなで一緒にクリスマスソングを歌う。例年、それを楽しみにしている人もいる。 (2019年12月07日) |
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ベルリンにも、ドイツの未来館ができた。「フトゥリウム(Futurium)」という。
2019年9月にオープンしてから、こどもたちや若者たちがたくさん訪れている。
将来の社会、政治、環境、産業はどうなるのだろうか。ドイツの未来館では、気候変動も重要なテーマだ。
こどもたちが自分で将来像を想像するため、自分で将来を体験してみるための未来実験室もある。
場所は、Alexanderufer 2, 10117 Berlin。ベルリン中央駅から歩いて5分。 (2019年11月30日) |
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先日、とても珍しい映画館にいってきた。
映画館は、それように建てられたものではない。その前は、肉屋さんだったらしい。それを、32席しかない小さな映画館に改造した。
映画館は市民有志で運営され、コマーシャルは一切流さない。上映する映画も、市民有志で決める。
ぼくが見たのは、「グンダーマン(Gundermann)」という東ドイツの秘密警察協力者をテーマにした映画。東ドイツをテーマとした映画の中でも、とてもいい映画だ。
映画館はLichtblick-Kino、住所はKastanienallee 77, 10435 Berlin。 (2019年11月23日) |
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写真は左から、アレキサンダーさん、ヨハネスさん、メラニーさん。
3人はいずれも、ベルリンの壁崩壊後に旧東ドイツで生まれて育った世代だ。それぞれが独自の経歴を経て、まったく違った分野で活躍している。
アレキサンダーさんは、こどもの時に両親と西部のハンンブルクに移住。現在、東部のライプツィヒで東ドイツの歴史のガイド役を務めている。
ヨハネスさんは、ドイツ南部ミュンヒェンでジャーナリストとして活躍。
メラニーさんは、ドイツ東部に定着して社会の右傾化に抵抗するプロジェクトを行っている。
3人はみんな、ドイツ人だと思っている。 (2019年11月16日) |
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ウルリィヒさんは、ベルリンの壁ができた4カ月後の1961年12月、西ベルリンに逃亡した。
それから1971年まで4回に渡り、東ベルリンから西ベルリンに逃亡するための地下トンネルを掘る作業に参加する。
東西ベルリンでは11回、地下にトンネルを掘って西ベルリンに脱出しようとする試みがあった。そのうち、成功したのは3回。それ以外は事前に密告され、失敗している。
ウルリィヒさんが参加したトンネルでも、成功したのは1回だけだった。
ウルリィヒさんが1971年に掘った地下トンネルが、今見れるようになっている。入口は、Brunnenstr. 143。
今から30年前の11月09日、ベルリンの壁が崩壊する。 (2019年11月09日) |
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ヴィオラさん(右)とウーヴェさん(左)は、1989年に東ドイツから脱国。西ベルリンにある東ドイツ脱国者収容所に入った。ベルリンの壁が崩壊する前だった。
ウーヴェさんは、東ドイツ国境警備隊員だった。しかし、逃亡者への銃撃命令があることに反発。政治犯として拘束された。
その後、西ドイツ政府が東ドイツに政治犯ウーヴェさんのために身代金を出す。ウーヴェさんは、東ドイツから脱国できた。その6週間後、ヴィオラさんも子供たちと一緒に西ベルリンに出国、家族は再会した。
当時の収容所は現在、難民収容所として使われている。 (2019年11月02日) |
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秋になると、きれいな朝焼けを見ることのできる日が増える。
今、夜の明ける時間が遅くなる時期なので、ちょうど起きる時間と朝焼けの出る時間が重なるからかもしれない。
ここ1、2週間、ベルリンでは穏やかな秋日和の日が続いている。その分朝天気がよく、朝焼けも出やすい。
ただこれから年末に近づくにしたがい、曇ってどんよりした日が増える。そのため、きれいな朝焼けを見ることもできなくなる。
明日からは、冬時間だ。 (2019年10月26日) |
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旧東ベルリンでは、新旧の建物が立ち並んでいる。
それは、統一後に東ドイツ企業が閉鎖され、再建できないまま廃墟のままになっているところがあるからだ。
閉鎖企業では、土地が魅力。土地目当てに、企業が次から次に、二束三文で売買された。
その後、土地が工業団地や、大学キャンパスなどとして再開発されたところもある。
そういうところでは、新しい産業が立地している(最後の写真)。
最初の写真は、閉鎖されたままの旧ビール工場。次の写真は、閉鎖されたままの旧送電ケーブル製造工場。 (2019年10月19日) |
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ベルリンの東側に、ミュッゲルゼーとドェーメリッツゼーという湖がある。「ぜー」とは、ドイツ語で湖のこと。
その2つの湖の間に、「ノイヴェネーディヒ」という地区がある。「ニューベニス」という意味だ。
19世紀終わりの1890年にできたという。
この地区には細い運河が5本並び、その畔りにガーデンハウスなどが並んでいる。
ベニスのガーデンハウス版とでもいおうか。 (2019年10月12日) |
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水のある生活には、普段思ってもいないものがある。ボートでアイスクリームを販売して回る商売は、想像もしていなかった。
それで十分に商売になるのかとも思うが、現実にあるのだから商売になっているのだろう。
水に浮かぶレストランは、何とか想像はできた。
お客さんは事前に予約しておき、用意されているボートで陸地からレストランに渡る。グループ用に渡し舟もある。ログハウスにしたのは、経営者のアイディアらしい。
浮かぶレストランは企業や個人のイベントなどで大繁盛しているというから、商売もアイディア次第だ。 (2019年10月05日) |
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こちらではこどもの時から、ヨットに乗る訓練を受けることができる。でもこどもの時から、大きなヨットで訓練することはできない。
それで使うのが、写真にあるような小型のヨットだ。
この小さなこども用のヨット・クラスを「オプティミスト」という。元々は、アメリカのヨットクラブの名前に由来するという。
「オプティミスト」の意味は「楽観者」。意味的にもピッタリだと思うが、どうだろうか。
なおヨットには、運転免許証が必要である。 (2019年9月28日) |
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ベルリンは、水の都市といってもいい。
ベルリンの郊外とその周辺には、湖がたくさんあり、それぞれが運河で結ばれている。内陸河川交通の航路ともなっている。
写真は、ベルリン東部のミュッゲル湖とゼッディン湖で撮ったもの。
水のあるところでは、市民の足として船も大切だ。だから、公共交通として小型の渡し舟も運行されている。
週末にのんびりと、ボートやヨットで船遊びする市民も絶えない。 (2019年9月21日) |
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香港の元雨傘リーダーで、民主活動家のジョシュア・ウォン(黄之鋒)さんが、ベルリンのプレスハウスで記者会見した。
ウォンさんは冷戦時代のベルリンの状況と比較して、香港を「新しいベルリン」とし、香港の民主化のために国際的な支援を求めた。
会見場では、普段見たことのない中国人「記者」が横にズラリ。盛んに写真を撮ったり、ビデオカメラを回し続けていた。
あまりに露骨で、他の記者の邪魔になるので、係員から注意される場面もあった。 (2019年9月14日) |
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ベルリンの中心街を歩いていると、人の顔ばかりで彩られたショウウィンドウがあった。
でもよく見ると、店舗はリフォーム中。お店はやっていない。
周りの店舗に工事中の影響が出ないように配慮されていることがわかった。
こうして、アーティストに展示する場も与えている。 (2019年9月07日) |
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緑の先には、何があるのだろうか。
小学校の校舎だ。
屋根を緑化するため、土が入れられていたのは覚えていた。でも屋根ばかりでなく、小学校全体がこれほど緑に包まれるのは想像もしていなかった。
夏は、木の葉で強い夏の日差しが遮られる。冬は落葉して木の葉がないので、暖かい太陽の光を採光できる。
自然をふんだんに利用した建物。
小学生たちも学校で、自然の大切さが実感できる。 (2019年8月31日) |
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将来、水不足で水を自由に使えなくなることが心配される。
それによって起こるのが、食糧危機だ。すでにアフリカでは、深刻な問題となっている。
先日、ベルリン市街を歩いていたら、この問題を提起するインスタレーションがあった。
温室には、たくさんの空ビンが並んでいる。
水不足を警告すると同時に、ぼくたち一人一人がそれに対して何ができるか、を考えてみることを求めている。
ぼくたちが今、日常生活において何ができるかだ。 (2019年8月24日) |
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日本軍「慰安婦」メモリアル・デーとなっている8月14日、ベルリンのブランデンブルク門前の広場に慰安婦少女像のレプリカが展示された。
レプリカは、展示が中止されたあいちトリエンナーレ「平和の碑」のレプリカと同じ彩色の像。
集会は毎年この日に、在独韓国人や日本人女性のグループが共同で行っている。
集会を主催する独コリア協議会のナタリーさんは、あいちトリエンナーレの中止で、慰安婦問題がより注目されるようになったと強調する。
軍事下における世界中の性暴力の問題を提起し、同じ過ちを2度と繰り返さないことを求めている。 (2019年8月17日) |
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ベルリンのメンデルスゾーン・ギムナジウム(大学進学中高統合学校)の中庭に入ると、校舎の外壁が色とりどりなので、何かと思った。
よく見ると、これまで卒業生が残していった寄書きのオブジェだった。
寄書きというのは、適切ではないかもしれない。卒業生の手型や足型があれば、顔写真、卒業生それぞれが制作した銘板のようなものもある。
オブジェというのが適切なのかどうかも、わからない。
でも過去の記録という意味では、とてもおもしろいアイディアではないだろうか。 (2019年8月10日) |
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ベルリン市街を歩いていると、とても素敵な邸宅に出会った。
ベージュのレンガ造りの外壁。そこを新緑のツタがはっている。黒い出窓とバルコニーがとてもすばらしい。歴史の重みを感じさせられる。
ちょっと調べてみたところ、これは邸宅ではなく、公立小学校の校舎だった。
学校の校舎が、こんなに邸宅のようなものだとは、思ってもみなかった。
こどもたちが勉強する教室はどうなっているのか、見てみたい。 (2019年8月03日) |
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ベルリンのシャリテ大学病院の敷地内では、完全無人運転の無人ミニバスが運転されている。
これは、ベルリン交通公社(BVG)が試験的に行っている小型電気バスだ。
ベルリン交通公社の電気バス導入責任者ダニエル・ヘッセさんによると、交通量の多いベルリン市内で無人バスを導入する予定はないという。
むしろ、ベルリン郊外の利用者の少ない地区で導入することを目的にしているという。
バス停には、一般人も乗車できるが、患者優先なので、混雑している時は一般人は遠慮してほしいとあった。 (2019年7月27日) |
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ベルリン中央駅の前に、レインボーフラッグがかかっているのにふと気づいた。
ニューヨークでゲイバーが警察の暴力に抵抗した日を記念するクリストファー・ストリート・デー(CSD)は6月だ。だがベルリンでは、7月19日から28日までをプライド・ウィークとして、27日に(LGBT)プライド・パレード(ドイツでは、CSDパレードといわれる)が開催される。
中央駅はドイツ鉄道のものだが、ドイツ鉄道は多様性に対するアクセプタンスを求め、今年はじめてレインボーフラッグを掲げることにしたのだという。
ベルリン市はこれまで、市の公共施設にクリストファー・ストリート・デーにおいてだけ許可制でレインボーフラッグを掲げるのを認めてきた。だが今年からは、許可なしにすべての市の公共施設に7月21日から27日までの間、レインボーフラッグを掲げるのを認める。 (2019年7月20日) |
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取材に出かけた先が、共同オフィスだった。
入り口に入ると、大きなホールがある。バーのようにカンターがあるが、そこが受付だ。そこでは、飲み物も注文できる。
廊下はガラスで仕切られ、両側にあるオフィスがとても透明に感じられる。
廊下をさらに奥に入ると、大きな休憩スペースがある。ミーティングもできれば、気分転換しながら、のんびりと仕事のアイディアを巡らせることもできる。
とても創造的な雰囲気だった。 (2019年7月13日) |
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ベルリンの博物館島(ムゼウムスインゼル)に、新しい建物ジェームズ・ジーモン・ギャラリーがオープンする。
ジェームズ・ジーモンは、現在新博物館に展示されているネフェルティティの胸像を寄贈するなと、ジーモンなくしてベルリンの博物館島のコレクションは考えられない。
ジェームズ・ジーモン・ギャラリーは、博物館島にある博物館の中央入り口となる。ペルガモン博物館がまだ工事中なので、当分は新博物館の入り口となる。
ギャラリーには、チケット売り場のほか、特別展示室、講堂、カフェなどがあり、入場は無料。
ギャラリーは、7月13日にオープンする。 (2019年7月06日) |
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ベルリン北部のパンコウ地区を歩いていると、何かわからないボックスが目の前に現れてきた。
近づいてみると、中に古本が入っていた。
これは、いらなくなった古本を誰か関心のある人に持っていってもらうための古本ボックスだ。
こうすれば、古本をシェアすることができる。
読みたいと思った古本は持っていけばいい。古本はまた返してもいいし、自分の手元においておいてもいい。
古い電話ボックスをこうした古本シェアボックスに利用しているところもある。 (2019年6月29日) |
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昔印刷工場だったウルシュタインハウスには、ブロンズのフクロウ像ばかりでなく、建物の周りにいろいろな石像やオルナメントが取り付けられている。
何人もの彫刻家の作品だという。
これだけ大きな建物をレンガ造りにするほか、彫刻家の作品まであるのだから、ウルシュタイン出版を創設したウルシュタイン家の資産力はすごいものだったのだと思う。
現在、その建物外壁を昔のままに修復して使うのもすごい。
写真の時計は、フクロウ像下の正面入り口を入ってすぐのホールにあった。 (2019年6月22日) |
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ウルシュタインハウスは、1920年代後半に建設された。外壁がレンガで構成される表現主義建築だ。
当初は、ウルシュタイン出版の印刷工場だった。現在は、テナントビルなどとして利用されている。
当時は、ベルリンで一番高層ビルだったという。
ウルシュタイン家がユダヤ系だったことから、ナチス政権になると、ウルシュタインの名前は抹消された。
フクロウは、ウルシュタイン出版のシンボルマークだ。 (2019年6月15日) |
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ベルリンに生活していると、今ころの時期、たくさんの昆虫に遭遇する。
公園や森を散歩すると、すぐに足元にいろんな昆虫がいることがわかる。自宅のバルコミーにも、昆虫たちがしょっちゅうやってくる。
今は時期的にはまだちょっと早いかもしれないが、ハチやチョウチョが少なくなったように実感する。植物が受精するには、ハチやチョウチョが大切なだけに、ちょっと気にかかる。
公園では、リスやウサギを見かけるのは当たり前だ。
キツネが、すっと足元を通り過ぎていったこともある。 (2019年6月08日) |
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ベルリンは内陸にある。でも物資を輸送するのに、川と運河が重要な役割を果たしてきた。
そのため、ベルリンだけでも10カ所以上に港があった。今も、物資を輸送する河川交通の港として使われている港もある。
写真は、ベルリン西部にあるテンペルホーフ港。20世紀はじめに設置された港だ。
しかし10年ほど前に再開発され、当時の倉庫(写真の白い建物)はショッピングモールとなった。港は、ヨットやボートなどレジャー用の港に様変わりした。
物資輸送が、トラックが主体になったからだ。 (2019年6月01日) |
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ベルリンは、湖と森のある大都市だ。
ベルリン西部にあるグルーネヴァルトの森は、約3000ヘクタールの広さがあるという。冷戦時代は、その一部を米軍が盗聴設備や弾薬庫などに使っていた。
今は、ベルリン市民が1日散歩を楽しむ場となっている。小山もあるので、ちょっとしたトレッキングも楽しめる。
特に5月は、新緑の季節。みずみずしい若葉をつけた木々がを見事だ。
ドイツ市民は散歩好き。でも「森林浴」ということばは、これまで聞いたことがない。
最近ようやく、「森林浴」ということばが日本から輸入されたという新聞記事を読んだ。 (2019年5月25日) |
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2012年にオープンする予定だったベルリンの新空港。いまだに開港できない状態が続いている。
今回、7年ぶりに空港内に入って、取材することができた。
思ったより、まだ新しい感じがした。使ってないからだろう。だが、細かいところで処理しなければならないところがまだ山ほどある。
オープンできない一番の問題は、防火システム。至るところに、スプリンクラーが見える。
来年2020年秋にオープンするには、ターミナルは来年春までに完成して、使用許可が出ていなければならない。
さて、間に合うか? (2019年5月18日) |
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今年もまた、鳥がたまごからかえる時期だ。でも、ヒナ鳥はまだそれほど見かけない。
この時期は毎年、カナダガンを一番目にすることが多い。その写真は、昨年のベルリーナールフトで取り上げた。
ベルリンの中心にあるティーアガルテンという大きな公園には、毎年寒くなると、ハクチョウが北の寒い地域から越冬しに渡ってくる。
ハクチョウのひなもまだ見ていないが、どうしたのだろうか。もう結構大きくなっていていいはずだが。
ハクチョウは、まもなくベルリンから飛び去って北に戻るはずだ。 (2019年5月11日) |
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ベルリンの建物は、それぞれが大きい。その裏がどうなっているかも、気にかかるところ。
建物は、表側だけではない。建物には裏もある。
ベルリンでは、道路に面する建物正面の建屋の裏に中庭があるのが普通のつくり。中庭には、木や植物が植えてあることもある。ただコンクリートの中庭になっている場合もある。
また、裏に並ぶ建物の中庭との間に建物がないので、広い中庭になって見える場合もある。
中庭には、建物それぞれの顔がある。建物裏側の外壁にも、それぞれの顔がある。 (2019年5月04日) |
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ベルリンから車で1時間あまり走ったところに、「シュプレーヴァルト」という低地の森林地帯がある。
一帯は、シュプレー川が小刻みに枝分かれし、森と水からなる自然の宝庫だ。人々は今も、森と水とともに生活する。
古い木造の家があちこちに並ぶ。水辺には木の枝を積み上げ、土が侵食されるのを防いでいる。それが一番効果があるという。
自然から得た知恵といってもいい。
川に囲まれた島の低地では、冬の間、水を流し込んで凍らせるという。春になると氷が溶け、植物が新芽を出しはじめる。
一面がいずれ、きれいな花畑となる。 (2019年4月27日) |
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ベルリンのティーアガルテン横に、ベルリンでも先駆けの「エコハウス」がある。
1980年代後半に建設された。当時エコハウスといえば、この建物の代名詞のようだった。
エコハウスとは、簡単にいえば、環境のことを考えた省エネハウスになっているとでもいるだろうか。
今となっては骨董品のようだが、当時としては最新のソーラーパネルが外壁にはられている。
建築家が何人も勝手に設計して、それを合わせたような集合住宅。なので、パッチワーク住宅のようにも見える。それがまた、当時としては斬新だった。 (2019年4月20日) |
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ベルリンの街角に、女性が参政権を得て100年となることを記念する大きなポスターがかかっていた(「100年前に女性が参政権を獲得」の記事参照)。
とてもユーモアのあるポスター。ポスターの上部には、ポスターのおばあちゃんが語ったように、「半々にさせなさいよ」とある。
女性の参政権獲得は、ドイツ革命からヴァイマール(ワイワール)共和国が誕生するプロセスにおいて実現した。これは、ドイツで民主主義が確立されていく一つの過程だった。
ちょうど今、ドイツ歴史博物館では「民主主義の本質と価値」という展示会が行われている。これは、オーストリア人ハンス・ケルゼンが1920年に書いた本のタイトルに由来する。
展示会には、当時女性が投票所前に並ぶ写真や、当時の投票箱が展示されていた。
(2019年4月13日) |
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ベルリン郊外のファルケンベルクというところで、村のカフェを見つけた。
カフェは、写真のように農家の長屋の一部にある。中に、粘土でできたソファーストーブ(最後の写真)があることから、カフェは「Lehmsofa(粘土ソファー)」という。
内部には、農家にあった家具や家庭用品などの骨董品も並ぶ。
ケーキは自家製で、簡単な食事もできる。自家製ハーブティーなど、素材もほとんどが自家製か、周りの畑でできたもの。だから、みんな新鮮でおいしい。
暖かくなると、裏にテーブルが並び、外に座ることもできる。 (2019年4月06日) |
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ベルリンでは今、天候が不順。まだ寒い日の方が多く、コートは手放せない。
でも、全体的に暖かくなっているのは確か。天気のいい日になると、木々が待ってたとばかりに、青い新芽を出しはじめる。
市民も長い冬から解放されたかのように、散歩に出る。のんびりと、芝の上などに座って日光浴もする。
こういう光景を見ると、春になったなと感じる。
冬の長いベルリンでは、健康のために日光浴も大切だ。それによって、体内にビタミンDが生成されるのだ。 (2019年3月30日) |
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ベルリン市内では、あちこちで外壁に描かれた絵に出会う。
この絵は、結構前からあったように記憶する。調べたところ、1989年に外壁画家ゲルト・ノイハウスさんによって描かれたものという。
ゲルトさんは70年代からベルリンで外壁画を描き続け、現在80歳。これまで外壁に描いた作品は、50点以上にのぼる。
建物を破るように出てくる船の名前は、フェニックス号。伝説の不死鳥だ。一目見て、あっと思うような絵が好きというゲルトさん。
外壁画を描くには、4週間から6週間かかるという。 (2019年3月23日) |
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ユダヤ博物館も、ベルリンの建築の中では有名だ。
これは、ダニエル・リーベスキントが設計したもの。ベルリンの壁が崩壊する前にコンペがあり、リーベスキントの作品が選ばれた。当時としては、斬新な建築だった。
写真は、そのユダヤ博物館の建屋そのものよりも、その外構(外回り)がどうなっているかに関心があって撮った。
長方形のコンクリートブロックは何を意味するのだだろうか。
ぼくは、強制収容所をイメージしたオブジェだと思うが、どうだろうか。 (2019年3月16日) |
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ベルリンのおもしろさの一つは、建築の宝庫だということ。
ゲーリーやロッシ、ホラインなど、世界的に著名な建築家の作品があちこちにある。建築のノーベル賞ともいわれるプリッカー賞を受賞したばかりの磯崎新の作品もある。
日本でも知られるブルーノ・タウトが1910年代に設計した社会集合住宅群は、ユネスコの世界遺産となっている。ブラジリアの建築物で知られるニーマイヤーも、ベルリンで1950年代にモダンな集合住宅を設計した。
集合住宅群は、国際建築展示会(IBA)の枠内で世界から建築家が集まって建設された。ニーマイヤーやロッシ、ホライン、磯崎の作品は、その枠内で建設されたもの。
写真は、街を歩いていて偶然に見つけた集合住宅。直線だけを使ってとてもシンプルだが、その表現力はすごいと思う。 (2019年3月09日) |
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写真は、独ボルジヒ社製の二重ピストンポンプ。排水用のポンプなのだという。
もちろん、もう稼働していない。1926年から1990年まで動いていたという。だがポンプ設備が閉鎖され、お役御免となってしまった。
持っていきように困ったベルリン水道局からもらい受け、現在は小さな公園でオブジェのように使われている。
落書きだらけになっているのは、悲しい。ピンプのことについて、現地に何も説明がないのもともて残念だ。
だから、これが何かを知るのにたいへん苦労した。
こうして古くなった産業機械をオブジェとして使うのは、とてもおもしろいアイディアなのだから。 (2019年3月02日) |
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1919年1月19日、ワイマール共和国の基盤となる国民議会選挙が行われた。その時、女性がドイツではじめて参政権を得た。
その時、37人の女性議員が選出された。議員全体の10%にもならなかった。
その中に、マリー・ユハチがいた。そして1919年2月19日、ユハチは国民議会において女性としてはじめて演説する。
ユハチは演説の冒頭で、「これは、ドイツの古い先入観を乗り越えた革命だ」と述べた。
そのマリー・ユハチの記念碑が、ベルリンにある。記念碑には、「自由、公平、平等、寛容、連帯」と刻まれている。 (2019年2月23日) |
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ベルリン中央駅は、2006年にドイツで開催されたサッカー・ワールドカップに合わせて建設された。全面ガラス張りのモダンな建物だ。
高架ホームが東西に、地下ホームが南北に延びる。線路が構内で十字に交差する珍しい駅だ。
高架ホーム上のガラス屋根には、太陽光パネルが設置されている。発電された電気は公共の送電網に送られ、売電されている。
写真の列車は、ドイツの新幹線に相当するICE。列車先頭のガラスには、その太陽光パネルが写っている。
駅を運用するドイツ鉄道によると、駅に必要な電気は、今年2019年末までにすべて再生可能エネルギー化する予定という。 (2019年2月16日) |
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ベルリンの主要駅の一つヅュート・クロイツ(南十字)駅には、風車が2基設置されている。設置されているのは、駅のパーキングハウスの屋根。
これは、ダリウス型といわれる小型風力発電機だ。縦に取り付けられた羽で風を受けて発電する。
こうした小型の風力発電機は、都市など風の安定しない場所に設置するのに適している。風向きに関係なく風車が回るほか、強風でも騒音を出さないとされるからだ。
ただ屋根に設置するには、人が近づけないようにするなど安全を確保しなければならない。
都市部でこの種の小型風力発電機が増えていくのかどうかは、今後まだ見ていかなければならない。 (2019年2月09日) |
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写真は、1910年に建設されたヨットクラブのクラブハウスだ。そのごっつい感じは、ナチスの時代を思わせないでもない。でもこれは、イギリス風のスタイルで設計されたものだという。
ヨットクラブは、1867年10月に設立された。ドイツで2番目に古いヨットクラブだ。ドイツ帝国最後の皇太子ヴィルヘルムもクラブに出入りしていたという。
クラブの会員が1000人以上にもなるというから、大きなクラブだ。こどものトレーニングもできるという。
ところで、こども用の小型ヨットのクラスを「Optimist(楽観主義者)」という。
一番最初にヨットについて習うので、ヨットの免許を取得できると楽観的にはじめてもらおうと、そういうのだということだが。。。 (2019年2月03日) |
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ドイツでは昨日(2019年1月25日)から経済省内で 、脱石炭の日程を最終的に決める会議が行なわれている。
大人にとっては、石炭をできるだけ長く使って既得権益を守ることに関心がある。石炭後の構造改革のため、できるだけたくさんの助成金も獲得したい。
環境がどうなるか、市民の健康にどういう影響があるかは、二の次だ。
でも、残される世代にとってはそうではない。自分たちがこれから生きる環境を守り、きれいな地球を守ってほしい。ここに、世代間の関心の違いがある。
ベルリンの経済省前では、小学生や中学生、高校生、大学生など若い世代が授業を抜け出し、脱石炭を求めて大人の政策に抗議した。
主催者は、1万人以上集まったとしている。 (2019年1月26日) |
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ローザ・ルセンブルク広場駅は、ベルリンの地下鉄2号線の駅。1913年にオープンした。当初は、シェーンハウス門駅といった。
ナチス時代、ナチスの英雄にちなみ、ホルスト・ヴェッセル広場駅と改名される。
戦後、すぐにシェーンハウス門駅に戻る。だが東西ドイツが成立すると、東ドイツ側が1950年メーデーの日にルクセンブルク広場駅、1978年にローザ・ルセンブルク広場駅と改名する。
駅構内は1960年代終わりに改造され、現在のように黄色のタイルとなる。
ローザ・ルセンブルクは、ドイツ共産党創立者の一人。100年前の1919年1月15日、右翼らによる反革命義勇軍に拘束され、殴り殺された。 (2019年1月19日) |
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ベルリンの地下鉄3号線と7号線の駅、フェーアベリン広場駅は、1913年にオープンした。当時は写真のように、現在の3号線のホームのようだったという。
現在の7号線が1960年代終わりに開通する時、駅は大幅に改造された。だが、1913年当時のデザインは、写真のように今も3号線ホームに残されている。
3号線のホームで特徴的なのは、19世紀後半から20世紀はじめに活躍した画家で、写真家のハインリヒ・ツィレの写真がホームの壁に展示されていることだ。
ツィレはベルリンで生活し、ベルリンの一般市民の生活を批判的に描き続けた作家だった。 (2019年1月12日) |
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グリーニッケ橋の真ん中には、ベルリン市とポツダム市の境界線が通っている。それが、ドイツが統一される前は東ドイツと西ベルリンとの国境線でもあった。
橋は当時、西ベルリンを管轄する連合軍の下で管理されていた。
そして橋は、冷戦時代に米国とソ連のスパイなどが交換された場所としても知られる。
橋はベルリンの壁の崩壊に伴い、1989年11月10日18時に開放され、一般市民も通れるようになる。
写真は、最初の写真がポツダム側(旧東ドイツ)側から、次の写真が旧西ベルリン側から撮った。 (2019年1月05日) |
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ベルリンでは新年に入ると、大晦日のパーティが行われていたブランデンブルク門周辺で恒例の花火が打ち上げられた。
街のあここちでも花火が打ち上げられるが、例年よりも少なかったように感じる。花火の規制が厳しくなったことの影響かもしれない。
それでも地元メディアの報道によると、年末年始にかけてベルリンでは花火によって130件ほどの火災が発生したという。
その他の騒動も例年よりも少なく、警察当局は静かに平和に新年に入ったとしている。 (2019年1月01日) |
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