ぼくがよくわからないのは、左翼党から分裂したばかりの極左ポピュリズム政党「サーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(BSW)」が台頭していることだ。秋のドイツ東部3つの州議会選挙ではいずれも、10%半ばの得票率を獲得。ドイツ西部でも次々に、各州で州本部が誕生している。
BSWというのは、東ドイツ出身の政治家サーラ・ヴァーゲンクネヒトの名前を冠にしている。サーラ・ヴァーゲンクネヒトはドイツ統一後も、東ドイツの独裁政党の系統を継ぐ「共産主義プラットフォーム」の代表を務めてきた。左翼党内でも左派原理主義の中心的な存在で、権威主義的、独裁的な傾向の強い人物だ。
同氏は今年2024年1月左翼党から脱党して、BSWを設立する。その時、ドイツ西部出身の左翼党国会議員を中心に同氏についていった。これは、それまで左翼党の党大会を観察していて、想像した通りだった。
ドイツ東部の左翼党政治家は、たとえばテューリンゲン州で州首相を出し、州政権をリードする。地方自治体でも首長を出し、東部では現実的な政治を続けている。政治に批判的な層からは、既存の政治、エリート層として非難される。
それに対しドイツ西部では、左翼原理主義的な党員が多い。党大会では、東部の現実派ではなく、西部の原理主義者が盛んに発言するのが目立つ。サーラ・ヴァーゲンクネヒトが西部において、支持者を拡大していくのは当然の成り行きだと思っていた。
それがどうしてドイツ東部の選挙において、これほど支持されるようになったのか。ぼくにはまったく理解できない。
サーラ・ヴァーゲンクネヒトが左翼党から出る、あるいは脱党させられるのは目に見えていた。同氏は、難民の移入に反対し、ロシアに近く、外交によってウクライナ戦争を停戦に持ち込むよう強く主張する。ウクライナへの武器供与にも反対する。これは、ロシアの思う通りに停戦になればいいということでもある。ウクライナがロシアの一部になっても、戦争が終わればいいという名目上の平和主義といえる。
極右政党のドイツのための選択肢(AfD)とも、政策上大きな違いはない。フェイス情報を拡散し、事実ではないことを事実といって一般市民を扇動する陰謀主義者でもある。政治学では右も左も極端になればなるほど、政策が同じになるというが、その理論がその通りになっている。
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「剣を打って鋤の刃にしよう」。これは聖書からの一部引用で、武器を人類の平和に導く道具に変えようという意味。そのブロンズ像が1950年代終わりにソ連から寄贈され、国連の庭に置かれている。それを示すこのシールが東ドイツでは、国家から強制されない市民の平和のシンボルだった。 |
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問題は、今年2024年9月に行われた東部3州において、BSWが政権入りしないと、州政府が過半数を取れず、少数派政権になってしまうことだ。
党首のサーラ・ヴァーゲンクネヒトは次の国政選挙に向け、米軍ミサイルをドイツに配備しない、ウクライナに武器を供給しないなどを州の連立協定に明記しないと、政権入りしないと警告する。
しかし同氏の求めることは、安全保障と外交問題。国の独立した権限だ。州の政治とは関係がない。そのため、東部3州での連立交渉は反乱含みとなっている。
ぼくはこの間、東ドイツ出身の政治学者や社会学者などに質問する機会を得た。しかし誰もが、BSWの台頭が理解できない、適切な説明が見つからないとする。
ぼくもなぜBSWが台頭するのか、よくわからない。しかしチューリンゲン州の州議会選挙前に州都エアフルトで、友人のペーターと話しをしていて、もしかすると、こういうことなのかしれないと思ったことがある。かといって、ペーターからそう説明されたわけではない。政治的な話をしながら、そう感じたのだった。
東ドイツでは小さい時から、反米、ソ連シンパで育ってきた。そう教育されてきたといってもいい。統一後35年になろうとしているが、そう簡単に子どもの時から洗脳されてきたことは消えない。
もう一つは、東西の壁はファシズムに対する防護壁で、東ドイツでは平和主義も洗脳されてきた。ただこの平和主義はソ連を中心とした平和であり、戦争さえなければいいという表面的な平和だっといってもいい。
サーラ・ヴァーゲンクネヒトは戦略的に、東ドイツで育まれた反米・ソ連シンパと平和主義を唱え、旧東ドイツ市民の心の隅に残っていた思いを今再び、思い起こさせているのではないか。それによって、ドイツ東部において市民の心をくすぐり、共感を得ている。
ぼくにはこうだと、確信があるわけではない。でも、こういうことではないかと思うようになった。
(2024年11月19日) |