ヒトラーが核兵器を使わなかったのはなぜか
終戦を巡る原爆の謎
ロシアがウクライナ侵略戦争をはじめて以降、プーチン大統領は何回にも渡って、核兵器の使用をほのめかしています。侵略戦争開始後1年経った2023年3月、プーチン大統領はロシアの(戦術的)核兵器をベラルーシに配置すると発表しています。
プーチン大統領は、ベラルーシに配置する核兵器の使用はすべてロシアの管轄の下にあり、ロシア自身が使用する、そのためそれは、核不拡散条約(NPT)に違反しないと弁明しました。
この弁明はメディアでは、あまり重大な問題として取り上げられていません。しかしこれは、ベラルーシには主権がないといっているのと同じだということに注意しなければなりません。
ロシアが核兵器の配置によって、ベラルーシ国内にまでロシアの主権を拡大したことになります。この問題に対して、ベラルーシは何も異論を唱えません。国際社会も、核兵器の配置は批判しますが、主権問題については問題にしません。
この核兵器配置に伴う主権問題は、ロシアが核兵器の配置を隠れ蓑にして、ベラルーシがロシアの一部だと主張しているのとかわらないと、ぼくは思っています。これは、重大な問題です。この問題に関して国際社会が黙っているのが、ぼくにはよくわかりません。
もう一つの問題は、ロシアの核兵器をベラルーシに配置することによって、戦術的核兵器とはいうものの、ロシアの核兵器が西側諸国により近いところに配置されることです。それとともに、ロシアの核兵器は西側諸国にとってより大きな脅威になります。
プーチン大統領は本気で、核兵器を使うつもりなのでしょうか。あるいは、核兵器によって西側諸国により大きな脅しをかけるだけなのでしょうか。
ぼくはここで、第二次世界大戦からナチスドイツの総統ヒトラーのことを取り上げたいと思います。
これまでは、ドイツが第二次世界大戦中に、核兵器を開発できなかったことが通説になっています。しかしドイツの歴史家ライナー・カールシュさんはその著書の『ヒトラーの爆弾(Hitlers Bombe)、ドイツ核実験の秘史』において、ロシアに残っている当時の文書などから、ナチスドイツは1945年3月に原爆実験に成功していたことを明らかにしました。
これが事実だとすると、ぼくには一つの疑問が出てきました。それは、1945年4月にあった独ソ最後の激戦であるゼーロー高地の戦いにおいて、ヒトラーはなぜ、原爆を使わなかったかということです。
ゼーロー高地は、ソ連赤軍によるナチスドイツの首都ベルリン侵攻を食い止めるための最後の要塞でした。ここをソ連赤軍に突破されると、ヒトラーの敗北はもう時間の問題でした。
それほど重要な戦いでヒトラーはなぜ、開発されたばかりの原爆を使わなかったのか。ぼくにはとても、不思議でした。
それで、『ヒトラーの爆弾(Hitlers Bombe)、ドイツ核実験の秘史』の著者ライナー・カールシュさんに、ぼくの疑問をぶつけてみました。
ライナーさんはまず、ナチスドイツには当時、原爆を製造するための材料が不足していたことを一つの理由として挙げました。
もう一つの理由は、相互に核兵器を持っていたほうが抑止力となり、互いに核兵器を使わないことをヒトラーが自覚していたからだといいます。
ナチスドイツが開発した核兵器は小型で、それほど破壊力の大きなものではありませんでした。万一それを使うと、莫大な破壊力を持つ核兵器がナチスドイツに投下され、自殺行為になることをヒトラーがよく理解していたと、ライナーさんは説明しました。
同じことが、化学兵器にもいえたといいます。ナチスドイツは化学兵器で進んでいました。しかしヒトラーはナチスドイツが降伏する1年前に、ナチスドイツの保有する毒ガスをすべて撤去させ、戦地で使用してはらないと命じています。
ヒトラーは、ナチスドイツが化学兵器を使うと、連合国によってドイツに対して化学兵器が使われることをよく自覚していました。ヒトラーはそれを、避けたかったのです。
ライナーさんは「それくらいのことは、ヒトラーにも理解できた」と、茶目っ気たっぷりにいいました。
問題は、現在です。核兵器のことでプーチン大統領には、ヒトラーほどの判断力があるでしょうか。
ナチスドイツの原爆開発については、ぼくの電子書籍『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』を参照しました。関心のある方は、のぞいてみてください(以下に、リンクあり)。
(2023年3月28日、まさお)
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きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(書籍案内)
関連サイト:
きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね(電子書籍、立ち読みできます)
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