地道な市民

新中間層と失われた中間層

 これまで何回か、中間層が縮小して、社会で格差が拡大していると書いた。ただ、これは正しくない。正確には、これまでの中間層というべきだと思う。

 実際には、デジタル化でインターネット関連のビジネスによって若い世代に新しい中間層が生まれている。たとえば、新型コロナ禍でネットを使って在宅勤務できる層も、この新しい中間層に入れていいと思う。

 この新しい中間層は社会のデジタル化が進むにつれ、より勝ち組となって豊かな層に仲間入りする。

 デジタル化とは、社会が知識社会になることを意味する。社会は戦後、産業化によってブルーワーカーが安定した生活を送っていた。ブルーワーカーは、産業化社会において現代社会の基盤を築いた立役者だった。それが、中間層を形成した。しかし知識社会の到来とともに、ブルーワーカーの役割が終わり、知識社会から落ちこぼれていく。その地位ばかりでなく、価値までも社会において低下する。

 そうした動きはすでに、1970年代の終わりから1980年に入ってはじまっていたと見るべきだと思う。

新型コロナの影響で、店舗は入口と出口が別々にされる。このドアは、出口専用。

 その転機のはじまる頃から、社会ではサービス産業が台頭しはじめる。デジタル化によって知識社会になると、サービス産業においても二分化が進んでいく。銀行などの金融業やコンサルティング業に勤める人々は地位を高め、高給取りとなる。それに対して、からだを使って単純なサービスを提供する労働者の地位は低く、安い賃金で働かされる。

 前者が知識社会層なら、後者はブルーワーカー層だ。後者にはたとえば、レストランやカフェ、ホテルで働く人、あるいはスーパーなどのレジで働く人々や介護職なども含まれる。単純なサービス産業は、ブルーワーカーとして働いてきた労働者が失業した場合の一つの受け皿でもある。

 新型コロナ禍において、在宅勤務のできる新しい中間層は感染の危険なく、働き続けることができる。リスクのない生活だといっていい。それに対して、サービス産業で働く低賃金労働者は、感染の危険を覚悟して働くか、まったく仕事がなくなる。感染の危険が伴う環境で働くなど、リスクが大きくても賃金は安い。

 デジタル化による知識社会では、からだを使って働く労働は低価値となり、低賃格差が開く一方となる。しかし、からだを使う労働は現代社会の基盤をつくり、現代社会においても必要不可欠な労働だ。それは、コロナ禍でより明らかとなる。

 しかし、その不公平さと価値の格差は新型コロナが流行する前からあった。それが、社会に対する不満を生む。その不満は、将来に対する不安となる。不安は、社会に対する怒りとなる。

(2020年7月02日、まさお)

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