落ちこぼれ社会

 前回、技術革新のテンポが早く、ぼくたちがその速いテンポに合わせて生きていかなければならなくなっている問題について書いた。その結果、テンポの速さについていけない人たちが出る。

 それは、単に技術革新のテンポについていけないからだけではない。貧困から新しい技術を手にいれることができないので、社会から取り残されていく場合も多い。たとえば現在、スーマートフォンでたくさんのことができる。いろいろな予約から、支払いの決算までできる。極端にいうと、将来スマホがないと何も買えなくことも考えられる。

 さらに今後、新型コロナ対策として感染者の追跡アプリが普及すると、スマホを持っているかいないかが、生命の安全に関わることになる。

誰もが、タブレットパソコンやスーマートフォンを持っているわけではない

 デジタル化社会についていけるかどうかは、こどもの時の教育にも依存する。でも現在、こどもの親の収入とこどもの教育レベルが比例する傾向が高まっている。低所得者層の子供はデジタル化から取り残され、より底辺で生きていかざるを得なくなる。新型コロナで学校が休校されたが、低所得者層ではパソコンを持っていない生徒もいる。オンラン授業は受けられない。さらに、自宅で親から勉強の面倒も見てもらえない。家庭教師もつけてもらえない。学力差が開くばかりだ。

 技術と教育が格差をもたらしているのは、すでに「強権化する資本主義」の章でも書いた通りだ(以下の関連記事を参照)。格差の問題は、資本主義に構造的に内包されている根本的な問題だと、ぼくは思っている。格差なくして、資本主義は成り立たない。それは単に、製品に付加価値をつけることで資本主義的経済が成り立たっていることを見てもわかると思う。

 社会的に格差を生む構造には、いろいろな要因がある。それが複雑に絡み合っている。それだけに根も深い。仕事を得るために、他の人と競争もしなければならない。その競争に勝てるかどうかは、格差に左右される。それで採用されないと、仕事はない。格差はさらに大きくなる。

 格差から社会についていけず、落ちこぼれていく人たちが増えている。社会から取り残された人たちが増えると、社会は荒れる。社会不安が増大する。本来、それを防止して社会を安定させるためには、セーフティネットが必要である。社会の安定は、社会全体にとって社会が機能する大前提だ。

 でも、セーフティネットには税金が割り当てられることから、それに反対する層が必ず現れる。落ちこぼれるのは、自分の責任という論理だ。格差が大きくなればなるほど、社会に対する連帯感が失われる。目先の自分の利益と豊かさばかりを追うことになる。

 米国社会がその典型だと思う。そこに、米国社会とヨーロッパ社会の大きな違いがある。でもヨーロッパの社会においても、格差が拡大して底辺で生きる市民の声が社会にも、政治にも届かなくなっている。

 それが、社会を右傾化させている一つの大きな要因である。

 すべての人たちには、同じように尊厳があり、社会で生活して生きる権利がある。それを忘れてはならない。でも社会には、必ず落ちこぼれてしまう人たちがでる。そういう人たちが生きていけるように、お互いに対話しながら、社会全体で連帯して共生できる道を探っていかなければならない。

 そうしないと、社会は荒れるばかりだ。

(2020年6月04日、まさお)

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