原発お払い箱の時代

 ドイツは、福島第一原発事故によって脱原発を決定したのだろうか。さらに、3.11後に倫理委員会を設置して倫理上の問題から原発を停止したのだろうか。

 とんでもない。ぼくは、そうは思わない。

 ドイツはその前にすでに、エネルギー供給をすべて再生可能エネルギーに転換すると決定していた。その一連のプロセスをEnergiewende(エネルギーヴェンデ)という。「エネルギーシフト」とか、「エネルギー転換」と訳せるかと思う。

 これは単に、発電においてだけ脱原発と脱石炭を実現して、再エネにシフトするわけではない。熱供給も自動車の燃料も、石炭や石油、ガスに依存せず、必要となるエネルギーのすべてを再エネ化する。

 最終目標は、2050年までに二酸化炭素の排出を実質ゼロとするカーボンニュートラルだ。

 それには、石油や石炭など化石燃料どころではない、ウランも邪魔なのだ。というと、二酸化炭素を排出しない原子力は、カーボンニュートラルに必要だと反論する人もいると思う。

 とんでもない話だ。カーボンニュートラムに向けて原発が必要だと思ったら、いずれ矛盾が生じる。カーボンニュートラルを実現するためには、一に再エネ、二に再エネ、三に再エネしかない。原発は不要だ。むしろ、邪魔になる。

 それは、なぜか。答えは簡単だ。

2019年4月22日はイースターの月曜日で、ドイツでは祭日。電力の需要が少なく、天気もよかったことから、明るくなると、太陽光発電による発電電力量(黄色の部分)が急増。日中お昼を前後に、太陽光と風力(青色の部分)など再エネ(下の緑から黄色まで)だけで電力需要(オレンジの線)を満たしてしまった。黄色の上の茶色部分は原発、その上が石炭火力(うす茶色と黒)とガス発電(灰色)(出典:ドイツネット機構)

 原発は常にフル稼働していてる。発電電力量も常に一定だ。それでは、発電電力量の変動の激しい再エネとは両立しない。変動の激しいものには、柔軟性のあるものでしか対応できない。ベースロード電源が必要だという考えも、もう時代遅れ。再エネ化とは矛盾する。

 再エネを基盤とする電力システムでは、発電電力量と電力の需要量を柔軟性のある調整力でマッチさせるしかない。調整力とは、足りない電力をすぐに調整して需要を満たすことのできるものをいう。今なら、ガス発電。将来は、バイオガス発電と蓄電池がそれに代わる。

 高層ビルに耐震性を持たせるため、日本ではどうしているか、考えてもらいたい。決して、高層ビルをより頑強にはつくらない。むしろ揺れるように設計する。そうして揺れを吸収する。

 それと同じ論理だ。再エネの変動を吸収するには、柔軟な発電方法でしか対応できない。柔軟性のない原発では、どうにもならない。

 日本のエネルギー計画は、再エネ中心の電力システムを構築するとしながらも、ベースロード電源に原発が必要だとしている。それは、まったくの素人考え。大手電力のご都合のいいようにしているだけにすぎない。

 それでは将来も、電力システムは依然として石炭火力や原子力に依存したままで、再エネが増えない状況になっている。

 それでは、矛盾もいいところ。

 その上、原子炉1基を建設するには、莫大な資金がかかる上に、建設するにもとてもうまくいったとしても、最低10年はかかる。それでは、今の経済と社会の早い変化にはもうついていけない。発電できるようになるまでに10年もかかっていては、いざ発電する段になると、もう必要ないことだって十分ありうる。建設しても発電しないままお払い箱。莫大な投資を無駄にする。

 世の中、それほど変化が激しいのだ。原発を取り巻く環境は、もう変わってしまったといわなければならない。原発に依存すればするほど、取り残される。

 日本の菅首相が突然、他国に負けずと、日本も2050年までにカーボンニュートラルを実現すると発言した。思ってもいなかったことで、ぼくは開いた口がふさがらなかった。菅首相は原発を増やせば問題ないと、短絡に考えているに違いない。

 やれるものなら、やってもらいましょう。

(2020年11月26日、まさお)

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