持続可能な社会における労働

 ぼくたちは、働くことで収入を得ている。まず、その収入に対して課税される。国は税収を得て、国家の財政源とする。ぼくたち市民は、働いて得た収入を使って、生活する。

 これは、国家も市民も労働が基盤になって成り立っていることを示す。この時労働は、ものつくりにおいて付加価値をもたらす。労働によって経済価値がもたらされ、労働する前と後で格差が生まれる。それが、物を販売し、実経済が成り立つ原則だ。

 しかしこれまで「地道な市民」の連載において、労働が変わってきていることについて書いてきた。ものつくりにおいては、ロボットなどによる自動化で、人の労働は少なくなるばかり。労働をベースにした社会や経済、国家は、これまでのようには機能しなくなる。

このソーラーモジュールの製造工場のように、ものつくりはロボットで自動化される。
ドイツ北東部プレンツラウで撮影

 インターネットの普及で、文筆家やアーティストは素人と区別がつかず、職業として成り立たなくなる。個人情報の発信源となるソーシャルメディア18では、一般市民による情報発信がその魅力になって、ソーシャルメディア企業が大きな利益をあげる。しかし個人情報を発信する一般市民は、それに対して報酬を得ることはできない。ネット上での情報発信は、労働とは見なされず、収入源とならないからだ。

 未来学者アルビン・トフラーが1980年に出した『第三の波』(徳岡孝夫訳、中央公論社刊)という本で、トフラーは将来、一般消費者が生産活動をするようになり、そういう人たちを「プロシューマー」と呼んだ。しかしプロシューマーはそれによって、ほとんど報酬を得ることができないとした。

 再生可能エネルギーを使って発電する一般市民も増えている。それも、プロシューマーだ。再エネ発電では、燃料費などの限界費用がないので、発電コストは発電設備に投資する投資費用が、発電コストのほとんどを占める。となると、発電を続けても、付加価値は生まれない。自分で発電した電力は自分で使い、余剰電力だけを売電する。でもそれでは、それほど大きな収入にはならない。

 再エネが増えると、発電はもう実経済として、経済価値ももたらさなくなる。すでに何回も指摘してきたが、脱炭素化でガソリン車が電気自動車に切り替わると、自動車業界においてたくさんの雇用が失われる。『限界費用ゼロ社会』などの著書で知られるジェメリー・リフキンは、再エネ化された持続可能な社会では、実経済の経済力がしぼみ、非営利のNGOやNPO法人によって雇用を創出するよう提案する。

 こうして見ると、持続可能な社会において労働は、その形態を変えていかざるを得ない。さらに、労働自体もこれまでの労働とは違い、多様な労働形態が登場し、労働に柔軟性が生まれ、労働の意味について新しく定義しなければならなくなると思う。ただそれによって、十分な収入を得ることができるかどうかは保証されない。

 しかしこれまでの労働による収入に代わり、自分で生産したり、連帯して生産することによって、収入がなくても生活できる形態が生まれる可能性もある。ここでもそれによって、十分に生活できる保証はない。でも将来、従来の定義でいう労働だけによっては、生活できなくなる可能性も高い。持続可能な社会では、これから労働というものがどんどん変わっていき、どう収入を得て生活していくのかも変わるはずだ。

 労働が経済や企業のためのものではなく、個人化されるのだと思う。その結果、個人が企業やマクロ経済から影響を受けず、独立した、安定した生活を送ることができるようになるはずだ。同時に、持続可能性が経済と生活の中心になれば、個人は個人だけを優先するのではなく、家族や社会との共生を追求するようにもなる。

 持続可能な社会は、市民中心の連帯社会、共生社会とならなければならない。

(2021年8月05日、まさお)

関連記事:
労働の定義が換わる
持続可能な社会における成長とは
限界費用ゼロが社会を変える
再エネで自分で発電すればプロシューマーということか?

関連サイト:
持続可能な開発目標とは(国連開発計画(UNDP)駐日代表事務局)

この記事をシェア、ブックマークする

 Leave a Comment

All input areas are required. Your e-mail address will not be made public.

Please check the contents before sending.