産業革命に依存してきた労働と科学
産業革命というのは、蒸気機関、内燃機関の時代を造った。でも、それから脱却する時期にきている。これについては、前回書いた通りだ。それは、蒸気機関、内燃機関の時代が終わろうとしていることでもある。
内燃機関による最近の小型車は、100馬力以上もある。これは、車1台で馬100頭以上の役割を果たすということだ。馬力を基準にするのは、産業革命前に車がなく、農業で馬が使われ、馬車で移動した時代のなごりなのではないかと思う。
馬が働くこと。それが労働でもある。ぼくたちが働くことも労働だ。その労働が現在の賃金体系の基盤にもなっている。今車1台で馬100頭以上の役割を果たすので、ぼくたち労働者にもそれに見合うだけの労働が期待される。
車は、燃料というエネルギー源を使って走る。だから100馬力で走れる。でもぼくたち人間は、自動車のように走ることができない。それでもぼくたちには、100馬力で走ることが期待される。それが、現在の労働の現実ではないかと思う。
現在、車のような機械(コンピュータでもいい)と電力(エネルギー)があれば、機械1つが人間の代わりにたくさんのことをしてくれる。人間はもう機械には勝てない。ぼくたちがいくら走っても追いつけない。疲れるだけだ。
実際には、機械が人間の代わりに労働をしている。でも、それは労働とは見なされない。人間の労働だけが労働であり、社会と経済が成り立っている。
車は燃料がエネルギー源だが、機械に主にエネルギー源を供給しているのが電気だ。電気は、石炭やウランなどの燃料を使って発電される。それが火力発電や原子力発電。大型の発電所で多量の電気を発電する。
発電の原理は、火力発電であろうが、原子力発電であろうが同じだ。燃料を燃やして熱を発生させ、その熱で蒸気を発生させて、その蒸気でタービンを回転させて発電機を動かす。蒸気機関の原理だ。
それは、ぼくたちが産業革命に依存してきたということでもある。ぼくたちはこれまで、産業革命とともに走って走って経済を成長させてきた。
でもぼくたちの身の回りを見て見よう。ブラウン管テレビは平型液晶テレビに替わった。有線電話機はスマートフォンに変わった。タイプライターもパソコンに替わった。
同じ運命が、発電にも起ころうとしている。原子力発電や火力発電が再生可能エネルギーに替わろうとしているのだ。自動車においても、内燃機関による自動車が電気自動車や燃料電池車に替わろうとしている。再生可能エネルギーが普及すると、一部を除くと蒸気機関も内燃機関も必要とされない。
これは、産業革命に依存しなくてもいい時代に入ろうとしているということでもある。
産業革命に依存してきたのは、機械と労働だけではない。ぼくは、科学もそうだと思う。科学には科学的な論理がある。でも科学は、往々にして保守的だ。科学的な根拠は既存論理で立証される。科学的ではないといわれないためには、科学は保守的にならざるを得ない。
ぼくは、科学の論理も産業革命にその基盤があると思う。ぼくがここで特に保守的な科学といっているのは、経済学など人文科学のことだ。これまでの経済と労働の概念は、産業革命を基盤にして成り立っている。
今の経済成長は産業革命なくし考えられない。資本主義も産業革命なくして考えられない。
(2020年10月15日、まさお)
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