2026年5月30日更新 − HOME − ベルリーナールフト
ベルリーナールフト

「ベルリーナールフト(Berliner Luft)」は、ベルリン生まれの作曲家パウル・リンケが作曲した国民の音楽。『ベルリン市の歌』といってもいいほど、ベルリンに密着している。一般市民層のために音楽を書き続けたリンケならではのメロディーだ。


毎年6月に日本でも放送されるベルリン・フィルの野外コンサートでは、いつも一番最後に演奏されるおなじみの局だ。直訳すると、「ベルリンの空気」ということ。


このコーナーでは、ベルリンのあちらこちらから、日常の写真でベルリンの香りを届けます。


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アッティラ通り駅

アッティラ通り駅  アッティラ通り駅  アッティラ通り駅
アッティラ通り駅

駅は、ベルリン北部ベルナウと南部のブランケンフェルデを結ぶS2号線の駅。旧西ベルリン南部に位置する。

歴史的な路線網からすると、ベルリンとドイツ南東部ドレスデンを結ぶドレスデン線へ向かう分岐点になるところ。

駅は1895年に設置され、当時は「マリーエンドルフ駅」といった。駅は1910年代、現在のような形になる。ちょうど「近代」がはじまった頃といっていい。

終戦前、駅のすぐ南を流れるテルトウ運河の橋が破壊され、その後の2年間は仮設の木造橋を使ってSバーンが運行されていた。

駅は統一後の1992年、現在の駅名に改名された。 (2026年5月30日)

バウハウスの窓

バウハウスの窓  バウハウスの窓  バウハウスの窓
バウハウスの窓と額縁

今回は、ドイツ中東部でベルリンから電車で1時間半ほどのところにあるデッサウから。

1925年から現代のモダン工業デザインの基盤となった美術学校バウハウスのあったところだ。バウハウスはその後1933年、ベルリンに移転している。

デッサウの校舎は美術大学の校舎になっていると同時に、博物館にもなっている。

最初の写真は、その校舎のカフェテリアと展示室の間にあった小さな窓。展示室からは、カフェテリアの様子の映る絵画のように見える。

展示室ばかりか校舎にあるものは戦前のもの。しかし、今を見ているように感じる。 (2026年5月23日)

リヒターフェルデ南駅

リヒターフェルデ南駅  リヒターフェルデ南駅  リヒターフェルデ南駅
リヒターフェルデ南駅

Sバーン25/26号線の停車駅。前回のオスドルフ通り駅同様、近くに設置された住宅団地のための駅だ。

1893年、路線周辺に建てられた邸宅群のために設置された。

1920年ベルリン南部がリヒターフェルデ南に延び、駅は1925年リヒターフェルデ南駅に改名される。Sバーンに組み込まれるのは1938年から。それまでは長距離路線駅とみなされていた。

1961年駅南にベルリンの壁ができ、旧西ベルリン最南の駅の一つとなる。

駅は1984年運用が停止され、統一後の1998年に再開された。 (2026年5月16日)

公立図書館

公立図書館  公立図書館  公立図書館
公立図書館

写真はベルリン・ミッテ(中央)区の公立図書館で、元々はルイーゼ鉱泉水浴場入口の建物でネオルネッサンス様式。戦争で壊れた後90年代前半に図書館として利用するため、増改築された。

鉱泉は18世紀後半に発見され、19世紀はじめにルイーゼ鉱泉と命名された。入口建物は1888年に設置された。

入口建物にある天使像ホール(4番目の写真)では、作曲家マイアベーアの母アマーリエ・ベーアが19世紀にサロンを開催していた。思想家、学者、ヴェーバーやリストなどの作曲も集まっていたという。今ホールでは月1回、音楽サロンが開催されている。

図書館前にはベルリン中心を流れる小川「パンケ川」が流れ、小川沿いは散歩できるようになっている。この散歩道はおすすめだ。 (2026年5月09日)

オスドルフ通り駅

オスドルフ通り駅  オスドルフ通り駅  オスドルフ通り駅
オスドルフ通り駅

Sバーン25/26号線の停車駅。駅は近くに設置された住宅団地のため、1970年代に計画された。

しかしオープンするのは1998年と、ドイツ統一後になってから。ベルリンのSバーンの駅の中では、最も新しい駅の一つだ。

ベルリンのSバーンの駅には、ホーム全体に長い屋根があるものが多い。しかしオスドルフ通り駅には長い屋根がなく、待合ベンチの上だけに短い屋根が設置されている(3番目と4番目の写真)。

その点でも、駅の新しさが感じられる。 (2026年5月02日)

駅前の充電ステーション

駅前の充電ステーション  駅前の充電ステーション  駅前の充電ステーション
駅前の充電ステーション

ベルリン南西部のジュートクロイツ(南十字)駅では、将来の交通をコンセプトするプロジェクトが試験的に実施されている。

その一つが、駅前横にある充電ステーションだ。充電ステーションに必要な電気は、ソーラーパネル(最初の写真)と駅前のパーキングハウスの上に設置された2つのダリウス型風車(3番目、4番目の写真)が供給する。ソーラーパネルの下には、そのための蓄電設備もある(最初の写真)。

充電ステーションでは、電気自動車ばかりでなく、電動スクーター、電動自転車、電動キックボードも充電できる。

充電ステーション横の道路には、電気バスをワイアレス充電できる設備があったが、電気バスの充電がパンタグラフ式に変わったのでもう使われていないと見られる。 (2026年4月25日)

リヒターフェルデ東駅

リヒターフェルデ東駅  リヒターフェルデ東駅  リヒターフェルデ東駅
リヒターフェルデ東駅

Sバーン25/26号線の停車駅。ベルリンSバーンの駅では、最も格調のある駅の一つではないか。

駅は長距離路線用に1868年にできているが、駅舎は線路を高架線路にする1913年から1916年の間に新設された。

北西側の出入り口は両側が大きな柱で、切妻屋根に時計があるのが特徴。南東側の出入り口はネオクラシカル様式になっている。しかし今回南東側は工事中で、その出入り口にあるドアの写真だけを載せた(2番目の写真)。

駅名は当初、「リヒターフェルデ」や「大リヒターフェルで」などと呼ばれていた。「リヒターフェルデ東」になったのは、1925年になってから。

駅は1984年から路線閉鎖で使われておらず、統一後の1995年に再オープンした。 (2026年4月18日)

ランクヴィッツ駅

ランクヴィッツ駅  ランクヴィッツ駅  ランクヴィッツ駅
ランクヴィッツ駅

Sバーン25/26号線の停車駅。駅は1895年、長距列車用の駅として設置された。

当時、駅は「ランクヴィッツ・ヴィクトリア通り駅」といった。1899年、現在の「ランクヴィッツ駅」に改名されている。

駅は、1943年8月23日から24日深夜の英国空軍による空爆で破壊された。

この路線がプリースターヴェーク駅から南に伸びて再運行されたのは、東西統一後の1995年になってから。

駅はホームだけを利用する簡易的なものになっており、線路は単線のまま。10分間隔で運行するSバーン路線で単線駅になっているのは、この駅だけだ。 (2026年4月11日)

ユダヤ人通り

ユダヤ人通り  ユダヤ人通り  ユダヤ人通り
ユダヤ人通り

ベルリン西部のシュパンダウ地区は、1920年にベルリンに統合された。それまでは、独立した自治体だった。

そのシュパンダウの旧市街に、ユダヤ人通りがある。ドイツ語でJüdenstraße。Uにウムラウトがついているのは、14世紀の命名当時、複数にはウムラウトをつけていたからだ。

通りはナチス体制下の1938年、キンケル通りに改名される。当時は、ユダヤ人を隔離するゲットーのようになっていたという。

元のユダヤ人通りに戻されるのは、2002年になってから。戦後何回も元に戻す試みがあったが、政治的にまとまらなかった。

2002年の改名式典でも、「ユダヤ人出ていけ」のシュプレキコールが起こり、式典が途中で取りやめになったという。 (2026年4月04日)

乗り捨て社会

乗り捨て社会  乗り捨て社会  乗り捨て社会
乗り捨て社会

ベルリンでは、電動スクーター、電動自転車、電動キックボードのシェアサービスが活発だ。スマホ一つあれば、街のどこにいても借りられ、どこにでも乗り捨てられるのが売り。

都市のサステナブルな移動手段と注目されていたが、現在大きな壁にぶち当たっている。

一つは地元住民よりは、主に観光客に利用され、都市のサステナブル交通となりえていないこと。

もう一つは、歩道に電動キックボードなどが乗り捨てられ、歩行者の邪魔になるどころか、目の見えない人など障害者の安全が脅かされているこどだ。

無規制の乗り捨てを改善するため、ハブとなる駅やバス停にポートを設け、乗り捨ての問題を解消しようとしている。しかし依然として、身勝手な乗り捨てが絶えない。

邪魔な電動自転車や電動キックボードが川などに捨てられ、それを回収するのも大きな負担だ。 (2026年3月28日)

南のはずれ駅

南のはずれ駅  南のはずれ駅  南のはずれ駅
南のはずれ駅

前回のプリースターヴェーク駅からSバーン25/26号線を南に1駅走った停車駅。「ジュートエンデ」とドイツ語読みを駅名にしたほうがよかったかもしれないが、それを敢えて訳して「南のはずれ駅」とした。

そのほうが、この地区が当時ベルリンの南の端と考えられていたことがわかる。

駅は1880年に設置されたが、1901年に駅舎と線路が移設されている。

ただ旧西ドイツのSバーンが1984年、1980年のストライキ後に再運行された時、プリースターヴェーク駅から南に走る路線は運行されなかった。

同駅が再運用されたのは、東西統一後に路線が修復された1995年になってから。

しかし駅ホームの屋根などは、昔のスタイルを残している。 (2026年3月21日)

ヘブライ語の道路標識

ヘブライ語の道路標識  ヘブライ語の道路標識  ヘブライ語の道路標識
ヘブライ語の道路標識

ベルリンの中心アレキサンダー広場の北西にある『ショイネンフィアテル』は、戦前までユダヤ人がたくさん暮らしていた地区だ。

直訳すると、「納屋街」とでもいおうか。確かに軒高の低い建物が多い。

その地区において数日前から、ユダヤ人の日常語となっているヘブライ語で書かれた道路標識が設置されている。

道路標識には、ドイツ語の道路名パネルの上にヘブライ語の道路名の書かれたパネルとその下にそれを英語で説明するパネルが取り付けられている。

ユダヤ人の生活を記憶するため、地元の区役所とユダヤ文化団体が共同で設置した。 (2026年3月14日)

プリースターヴェーク駅

プリースターヴェーク駅  プリースターヴェーク駅  プリースターヴェーク駅
プリースターヴェーク駅

Sバーン2号線と25/26号線の停車駅。同駅をさらに南に行くと、線路は2号線と25/26号線の2つに分かれる。

そのため、2号線と25/26号線の乗り換え駅でもある。ホームを2つ設け、乗り換えが楽なようにしてある。

「プリースターヴェーク」とは「聖職者の道」という意味。線路に沿った歩行者用の道だ。聖ヤコブスの遺骸があるとされるスペインのサンディエゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の一つであったとされる。

駅は戦前の1928年にオープンした。

駅はまた、線路沿いにある自然公園への入り口でもある。公園は、戦前南西に向かう長距離列車が走っていた線路の跡地。線路を撤去しないまま、樹木が自然に生息している。 (2026年3月07日)

フリーデナウ駅

フリーデナウ駅  フリーデナウ駅  フリーデナウ駅
フリーデナウ駅

Sバーン1号線のフリーデナウ駅は1874年、新しい住宅地区フリーデナウの住民の足となるよう設置された。

しかし駅はフリーデナウ地区ではなく、その北のシェーネベルク地区にある。

駅の設置は、商人のシュポンホルツが住民団体と一緒に鉄道会社と交渉した。シュポンホルツは銀行などと共に資金を提供し、敷地も提供している。

駅は1891年、ローカル線用に新しい線路が設置されたことで移設され、現在の形になった。それまでの駅舎はスイス式の建物で、現在駅出入口横に残され、イベントハウスなどとして使われている(2番目の写真)。

駅は、ガラス張りの温室様式となっている(4番目の写真)。 (2026年2月28日)

シュラハテンゼー

シュラハテンゼー  シュラハテンゼー  シュラハテンゼー
春よこい

ベルリン西にあるシュラハテンゼーは、約42ヘクタールの湖。ぼくは以前、この湖を何回も回ってフルマラソンを走る準備をしていた。

その湖が今、まったく凍ってしまっている。先週寒さが緩んだが、今週は再び、連日寒いが続いた。氷が溶けきらなかったのだと思う。

ベルリンでは今年に入り、寒い日が続いている。この週末からは、かなり穏やかなになる予報だ。

湖の氷も溶け、早く春らしい天気になってほしい。 (2026年2月21日)

フォイアーバッハ通り駅

フォイアーバッハ通り駅  フォイアーバッハ通り駅  フォイアーバッハ通り駅
フォイアーバッハ通り駅

Sバーン1号線にあるフォイアーバッハ通り駅は、鉄道の電気化とともに1933年5月にオープンした。当時の駅名は、「フェルト通り駅」だった。

駅は終戦1カ月後に再びオープンするが、戦争で損害を受け、1950年代はじめに修理されている。

戦後1980年、ストライキで旧西ベルリンのSバーンは運転を休止。1984年に、Sバーンの運用が旧西ベルリン交通公社に移管される。

その時駅舎は、躯体だけを残して解体され、修復される。元のレンガ造りの駅舎が復活した。 (2026年2月15日)

シュテグリッツ役場駅

シュテグリッツ役場駅  シュテグリッツ役場駅  シュテグリッツ役場駅
シュテグリッツ役場駅

シュテグリッツ役場駅は、Sバーン1号線にある。ベルリンでも一番古い駅の一つで、1839年6月にオープンした。当時は単に、「シュテグリッツ駅」といった。

その後、鉄道事故や高速道路の建設などの影響で、線路と駅が現在の位置に移設された。

1965年高速道路の建設時には、1873年に建設された旧駅舎も撤去された。ただ駅東出入り口横に1910年に建設された建物(最初の写真)が残ったことから、駅舎の一部として利用されていた時期もある。

1992年5月、隣接する地下鉄の駅名に合わせるため、現在の駅名に変更された。 (2026年2月07日)

ベルリン中央駅

ベルリン中央駅  ベルリン中央駅  ベルリン中央駅
中央駅を歩く

ここのところ寒いのに加え、路面が凍っていて歩くのも危ない。そのため、ジョギングも散歩も控えている。

しかしそれでは、自宅に籠るだけ。からだを動かす機会がない。

それで、広い中央駅構内を散歩してはどうかと思った。早速、中央駅構内を歩いてみる。

ただ実際に歩いてみると、駅がそれほど大きくないのがわかる。できるだけたくさん歩こうとしたが、せいぜい3キロメートルくらいにしかならなかった。

ドイツの駅はだいたいそうだが、駅に密封されたところがない。どこも寒くて、駅構内を長く歩いておれなかった。 (2026年1月31日)

植物園駅

植物園駅  植物園駅  植物園駅
植物園駅

植物園駅は20世紀はじめ、シュテグリッツ地区とその南のリヒターフェルデ地区の区画整理が終わった後に、地元の公共住宅建設会社のイニシアチブで設置が決まった。駅は1909年5月にオープン。

近くに植物園があることから、「植物園駅」となる。

線路横にアールヌーボー様式で集合住宅が建てられ、住宅下の階が駅舎となった(4番目の写真の駅奥の白い建物)。

紅白で装飾された外壁は、チェス盤をイメージしている。

通路と駅階段室はガラス張りで(2番目の写真)、植物園の温室をイメージしている。

温室ガラス張り様式はその後、ベルリンの駅の標準として広がっていく。 (2026年1月24日)

凍ってしまった湖

凍ってしまった湖  凍ってしまった湖  凍ってしまった湖
凍ってしまった湖

ベルリンでは寒い日が続いていた。しかし寒さの峠は越し、今は穏やか。

先週末のまだ寒い時、ベルリン東部にあるミュッゲル湖に散歩にいった。

ベルリンで一番大きな湖。面が7.4平方キロメートル、一番長いところが4.3キロメートル、幅は最大2.6キロメートルある。

ところが水面全体が凍り、市民が水面に出て、スケートをしたりしているではないか。氷がちょっと薄いのではないかと心配した。

別の湖ではこの日、氷が割れて警察のへリコプターで救助された人もいたようだ。 (2026年1月17日)

氷の彫刻

氷の彫刻  氷の彫刻  氷の彫刻
氷の彫刻

ベルリンでは、寒い日が続いている。寒さはまだ3、4日続きそうだ。

先日、日中でも零下8度にしかならない時に、ベルリンの西側にある森グルーネヴァルトに散歩に行った。

その時、森の池の辺りで見つけたのがこの氷の彫刻。池からどうやって氷を引き出したのか不思議だが、池には氷を取り出した跡がある(3番目の写真)。

しっかり着込んでいったこともあり、それほど寒いとは感じなかった。むしろ2時間ほど歩いて、清々しい気持ちになった。 (2026年1月10日)

新年の雪

新年の雪  新年の雪  新年の雪
新年の雪

ドイツでは新年に入り、雪となっているところが多い。

ベルリンでも2日から雪が降りはじめ、3日の午前中から雪が本格的に積もり出した。

水分の多い雪でとけやすいが、この後月曜から1週間ほど冷え込みが続く予報だ。

雪がどけた後に冷え込むのが一番怖い.。とけた水が凍って、路面がツルンツルンになる心配がある。

すべって怪我をしないようにしたい。 (2026年1月03日)

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